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三丸興業株式会社
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企業情報 事業案内 主要ビルのご紹介 三丸興業150年史
 
会社沿革
歴史
享保年間(1716−1735)に渡邊治右衛門が播州明石から江戸へ出て、日本橋四日市に海産物商「明石屋」を創業したのが東京渡邊家の始まりである。 安政6年(1859)6月2日、横浜開港に当たって7代目治右衛門(福秀)が横浜進出を決定、「明石屋平蔵商店」名義にて横浜市中区元浜町で開業した。
開業当初の主たる商品は常磐産出の石炭(蒸気船の燃料や、居留外国人が暖房に使用)だった。 文久2年(1862)福秀が没し、8代目の弟である大河原知治が横浜店の二代目として経営にあたり業績を伸ばす。 明治6年、福秀の孫に当る渡邊福三郎が店主となり海産物と金融為替、倉庫業で事業を拡大した。
一方、福三郎は東京本家が明治10年設立した東京第27国立銀行に出資し取締役に就任したのを始め、有価証券投資を逐年増加すると共に、横浜市街地の土地取得並びに不動産金融を展開した。
時代の推移に伴い、福三郎は明治44年、海産物専業の合資会社石福商店を解散、同年不動産及び有価証券投資管理を目的とした渡邊合名会社を設立、翌明治45年鞄n邊銀行を設立した。 これにより、銀行経営を本業とし、それまでに築いた個人資産を運営・管理する保全会社とを明確に分離した。
大正12年12月25日、渡邊合名を組織変更し渡邊同族株式会社(当社)が設立された。渡邊同族鰍ヘ、合名会社に引き続き有価証券投資と不動産の所有・管理を行い配当収入と地代・家賃収入を両輪とした。 中でも親族の興した日本特殊鋼(大正4年〜)は、当社の出資会社として業績を飛躍的に向上させた結果、昭和初頭から昭和30年代にかけて当社のおおきな収入源となった。 一方、昭和金融恐慌を切りぬけた鞄n邊銀行は昭和13年第一銀行と合併した。
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19世紀初頭地図「日本橋周辺」
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渡邊福三郎
渡邊福三郎 肖像
明治45年 渡邊銀行本店社屋
明治45年 渡邊銀行本店社屋
沿革
大正 12年 12月 25日 渡邊同族梶i当社)設立、渡邊福三郎が代表取締役社長を務める。
昭和 9年 渡邊福三郎の死去により、次男の渡邊利二郎が代表取締役社長となる。
昭和 22年 8月 商号を渡邊同族鰍ゥら三丸興業鰍ノ改称。
昭和 31年 3月 渡邊利二郎の死去により、長男の渡邊広太郎が代表取締役社長となる。
昭和 34年 横浜植木鰍フ過半数の株式を取得して経営に当たる。
昭和 39年 3月 本店を創業以来の横浜市中区元浜町1-3から横浜市中区本町4-39に移転、元浜町の本店敷地は神奈川県庁の新庁舎用地として県に売却した。
昭和 41年 2月 渡邊広太郎の死去により、弟の渡邊健二郎が代表取締役社長となる。
昭和 54年 10月 三丸新山下ビル竣工。
昭和 55年 5月 三丸馬車道ビル竣工、丸井馬車道館開店(横浜市中区尾上町5丁目)
昭和 59年 2月 横浜新関内ビル竣工。(平成27年2月売却)
昭和 60年 11月 三丸長者町ビル竣工。
昭和 61年 3月 三丸藤沢ビル竣工。(平成29年6月売却)
昭和 62年 5月 三丸大船ビル竣工。(平成27年3月売却)
平成 3年 3月 ブランシェ善行竣工。(平成26年2月売却)
平成 6年 7月 京橋東海ビル(現住友不動産京橋ビル)竣工。
平成 10年 2月 渡邊健二郎が代表取締役会長に就任、次男の渡邊俊郎が代表取締役社長に就任。
平成 12年 9月 昭和55年以来20年稼動した三丸馬車道ビル(テナント:丸井)をテナントの返室に伴い売却。
平成 12年 10月 昭和39年100%子会社として設立以来、鎌倉市内で自動車教習所を営業してきた大船自動車興業鰍フ全株式を、平成12年10月31日をもって第三者に譲渡。
平成 13年 5月 日本橋コアビル取得。(平成29年9月売却)
平成 13年 9月 渡邊健二郎会長 死去。
平成 13年 11月 浜松町エクセージビル竣工。
平成 14年 10月 芝エクセージビル竣工。
平成 17年 4月 カサ・デ・アンジェラ(三丸本町ビル)竣工。
平成 21年 11月 フロンティア四谷ビル、並びに四谷アネックスビル取得。
平成 22年 4月 明治41年以来、同族で経営してきた(学)横浜山手女子中学校・高等学校が中央大学と合併。同大学附属校となる。
平成 28年 3月 中央区八重洲2丁目北再開発組合に参加。
平成 28年 4月 パークアクシス赤坂見附取得。

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